1984-08-01 第101回国会 衆議院 法務委員会 第15号
それから昭和二十一年十二月二十日、イギリス軍から帰国許可が出て帰国した。こういうことを私たちはつかんでおるわけです。こういう事実、要するに保護観察を受けている人たちが島流しに遭ったことは間違いないのです、しかも軍人と同じような過酷な条件のもとに。戦後は治安維持法は御承知のとおり、判決の言い渡しがなかりしものとみなすということが連合軍からの指令で行われているわけです。
それから昭和二十一年十二月二十日、イギリス軍から帰国許可が出て帰国した。こういうことを私たちはつかんでおるわけです。こういう事実、要するに保護観察を受けている人たちが島流しに遭ったことは間違いないのです、しかも軍人と同じような過酷な条件のもとに。戦後は治安維持法は御承知のとおり、判決の言い渡しがなかりしものとみなすということが連合軍からの指令で行われているわけです。
そういう際にも格別問題を生じなかつたのでございまして、われわれとしては、最後的な帰国許可の決定は舞鶴において行われるものであるという考えできておりますし、その点ば華僑総会側も了解しておるというふうに聞いておつたのでございます。
これらの人たちは講和条約発効までは主として総司令部の帰国許可証によつて香港経由、若しくは天津直通で帰つていたのでありますが、昨年暮からは殆んど大陸直通の船がなく、今年の一月三十一日に英船が一回行つたきりで今日まで殆んど大陸行きの船が跡絶えているような状態であります。
これらの物資及び金は、すでに帰国許可の発表のあつたときに本人に手渡されておつたのであります。こんなふうで、私どもが中国を出ます三月六日には、もうすでに、北は天津、また南は衡陽、長沙その他から、居留民の半数ずつが移動を始めまして、御承知の通りの三つの港に約五千人ずつ集結いたしております。その間の費用は全部紅十字が持つわけであります。
また中国本土地区におきましては、華北、華中、華南を通じまして、中共機関から正式留用解除になつた者が相当おりまして、病気等を理由に帰国を嘆願し、帰国許可になつた者もあります。中国本土について見ますと、病弱者、比較的重要でないと見られる技術者、その他中共当局が必要としない日本人に対しては、あえて帰国を妨害しないようであります。